大判例

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東京高等裁判所 昭和62年(う)1076号 判決 1988年3月14日

本籍

東京都新宿区揚場町一五番地

住居

同都同区同町一五番地

セントラルコーポラス五〇三号

会社役員

宮原一

昭和一五年六月一日生

本籍

東京都新宿区西新宿五丁目三五三番地

住居

同都同区西新宿五丁目一〇番七号 菊地原千代子方

会社役員

中島文男

昭和一七年八月二三日生

右の者らに対する各相続税法違反被告事件について、昭和六二年六月四日千葉地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから各控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官村山弘義出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人中平健吉、同平川敏夫、同中平望連名の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官村山弘義名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は、刑の執行を猶予しなかった点で、重すぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討すると、本件は、被告人両名が、勝矢孝雄、鈴木洋樹、綿引爽五らと共謀のうえ、勝矢孝雄にかかる相続税の一部をほ脱することを企て、被相続人勝矢久雄につき、一億四五〇〇万円の連帯保証債務を虚構し、勝矢孝雄においてこれを負担すべきことになった旨の虚偽の相続税申告書を提出し、勝矢孝雄の相続税の一部五六三七万五一〇〇円をほ脱したという事案であって、脱税額が多額であること、被告人両名は脱税額の半分を報酬として受ける約束で他人の納税事務に介入し、実際にも三〇〇〇万円の報酬を受け取り、被告人宮原は六〇〇万円、被告人中島は六〇〇万円余の分け前を受け取っていること、脱税の方法が巧妙であることを考え合わせると、被告人両名の刑責は軽視できない。

そうすると、三〇〇〇万円の報酬は被告人中島から一括して勝矢孝雄に返済されていること、被告人両名とも前科・前歴はないこと、被告人両名が反省の態度を示し、原判決後に東日本同和会の役員を辞していること等被告人両名に有利な諸事情を十分に考慮しても、被告人両名に対し刑の執行を猶予すべきものとは認められず、被告人中島を懲役一〇月に、被告人宮原を懲役八月に、それぞれ処した原判決の量刑が重すぎて不当であるとは言えない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 朝岡智幸 裁判官 小田健司)

昭和六二年(う)第一〇七六号

○控訴趣意書

控訴人 中島文男

同 宮原一

右控訴人両名に対する相続税法違反被告事件について、昭和六二年六月四日千葉地方裁判所刑事第一部が言い渡した判決に対し、同日原審弁護人から、同月一五日控訴人両名から、各控訴の申立をしたが、その趣意は左記のとおりである。

昭和六二年一〇月二六日

弁護人 中平健吉

同 平川敏夫

同 中平望

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 控訴人らは原判決の認定の事実については、これを認めるものであって、かかる犯行を犯したことを衷心から痛悔しているものである。また、原判決が量刑理由として述べている「本件は、ほ脱税額が五六〇〇万円を越える高額の脱税事犯である。納税者の多くの者が、所得に応じてガラス張りの徴税をされ、あるいは正確に申告して納税し、社会の財政基盤を支えている陰で、一部の者が、高額の所得がありながら不正手段を弄してひそかにこれを免れ私利を図っているという事態は、世上たびたび指摘されているとおり、極めて重大である。この種事犯は、社会の財政的構造に直結しているとともに、放置すると容易に蔓延しやすい契機を含んでいるだけにその弊害は大きい。脱税事犯は、現代社会においては特に重大な犯罪だという点を今一度考え直す必要がある。」についても、これも認めるものである。

第二 しかしながら、原判決が量刑事情として述べる納税義務者本人勝矢隆雄との情状に関する比較の点、本件脱税の手段が手が込んでおり、巧妙であるとする点、同和団体の持つ社会的影響力を利用したとの点などについては十分に事情を理解していない憾みがあるので、以下これらの点について実情を明らかにしたいと考える。

一 控訴人中島文男と本件納税義務者勝矢孝雄との関係、(我孫子市議会議員、(元同義会議長)安井犒の介在)

同和地区は、関西に多いのであるが、関東では埼玉県に多く、我孫子市内に同和関係者が多いことから、当時東日本同和会の副会長であった控訴人中島は我孫子市周辺での、東日本同和会の活動、すなわち差別、貧困等により救済を必要とする同和関係者を発見し、これを支援すること、人権差別解消等のための啓蒙宣伝及び同会の会員拡大等の発展を図るためには、地元の有力者の協力が不可欠であることから我孫子市議会議員で元議長でもあった地元の有力者安井犒とかねてから交際があった。

また、控訴人中島は、安井犒の依頼を受け、同人所有の土地に関する紛争の処理解決方を依頼され、その報酬として金三、五〇〇万円を受領する約束になっていたにもかかわらず、右安井は、他のルートによってこの件を解決してしまったために、同人は中島に負い目を感じており、本件において相続税減額の企てが成功したあかつきにはさしあたり勝矢から相続税減額の半額を中島に立替え支払わせることにし、後で勝矢に安井が埋め合せをするというものであった。 したがって、控訴人中島は安井または勝矢との間で勝矢から相続税減少額の半分をもらうことになっていたけれども、右減少額がいくらとかしたがってその半分がいくらとか決まっていたわけではなく、しかもその金額の性質は、その全額が脱税成功の報酬というわけでもないのである。

原判決が「仮りに約六〇〇〇万円税額が減少すればその半分にあたる三〇〇〇万円という高額をその報酬として受けとるというような法外な約束が交わされている」旨判示するが、右に述べた事情があり、正確ではない。

二 納税義務者勝矢孝雄からの依頼

控訴人中島文男は、既に述べたとおり安井犒とじっこんの仲にあったものであるが、右安井から、勝矢孝雄が同和関係者であること及び多額の相続税を支払わなければならないことがあり、苦慮しておるので、右勝矢を助けてやってほしいとの依頼を受けた。控訴人中島は、右安井の協力要請を承認することは、将来安井から東日本同和会の会員獲得、同会の同和運動の推進に協力を得られること及び同和関係者である勝矢孝雄の窮状を救済することが同和運動の本来的使命であることから、右安井の要請を受諾した。

一方、勝矢孝雄は、養父久雄の死後昭和五九年四月中旬頃、自ら相続税額を試算し、これが二億円弱という高額であることに驚き、友人の税務に精通している落合敏夫に依頼して計算してもらったところ、相続税額が約一億円であるということが判明した後、さらにその額の軽減を図って、実兄の我孫子市会議員大井一雄(現我孫子市長)に相談し、大井は先輩議員である安井に働きかけて相続税額の減額を図ることにした。

なお、勝矢孝雄は検察官に対して同和関係者であることを否認しているが、控訴人中島に、安井市会議員同席のところにおいて、同和関係者であることを述べており、控訴人宮原もこれを確認していたのであって、控訴人等が右勝矢を同和関係者と認定したことは何らの過誤でもない。ちなみに、いまだに厳として存在する同和関係者に対する就職差別、結婚差別の手段として、出身地の調査、追求が調査機関等により就職、結婚等の際に行なわれている事実が存在することから、同和運動を推進するものとしては、本人が同和関係者であると申告する以上、差別を助長する可能性を持つ生れや出身地の調査を行なうことは当然のことながら行わないものである。

もし、勝矢孝雄が真に同和関係者でないとするならば、虚言を弄して東日本同和会という同和団体の幹部として同和問題に真剣に取り組んでいる控訴人中島、宮原をだまして脱税に利用しようとして、本件脱税犯に引き込んだものであって、悪質であり、その犯情が控訴人中島、同宮原よりも軽いということは絶対に有り得ないところである。

二 控訴人宮原一らがした脱税工作

1 控訴人中島は、昭和五九年八月二二日安井宅で勝矢孝雄と会い、安井から勝矢の当初の相続税申告書案などを受領したものの、税務に素人で詳しくないうえ、申告期限が同月二八日と極めて切迫していることから、取るものも取りあえず所轄の柏税務署に勝矢の相続税申告について相談し指導を受けることとし、控訴人宮原らとともに同税務署に赴き、小林総務課長、木田統括官に相談し指導を受けた。その際控訴人中島は小林総務課長に挨拶した程度であり、控訴人宮原において木田統括官に相談したものの控訴人宮原が当該債務が借入金であるのか保証債務であるのかを明らかにできなかったことから、木田統括官から税理士を頼むよう助言され、その後同月二七日控訴人宮原らが勝矢と打ち合わせ同税務署に相談に行き、株式会社誠商に戻り、控訴人中島は控訴人宮原から言われて、勝矢の相続税申告について架空の保証債務を計上することを承知した。そして翌日の同月二八日ようやく本件の相続税申告書だけを同税務署に提出して申告期限に間に合わせたという状況であり、遺産分割協議書、保証債務負担および弁済に関する証書類も添付されておらず、また保証債務弁済に見合う資金的裏付の書類もなく、熟練の税務署員によって直ちに不正を看破し得るものであって、手口は極めて単純、拙劣なものであった(控訴人両名の各検察官調書、原審公判供述、勝矢孝雄、小林明、木田喜春の各検察官調書等参照)。

2 しこうして、本件申告書提出後の約束手形、領収証など関係証書類の作成、同税務署への提出等は主として控訴人宮原がこれに当り、同税務署員に相談した過程において税務署側から、勝矢側が約束手形振出人の有限会社国母興業に代ってその債務を支払ったこと、同会社が支払不能の状態にあることなどの資料が必要である旨の具体的指導を受けるなどして、これに基づき順次作成し、同税務署に提出して行ったもので(同年一〇月二日ころ遺産分割協議書、約束手形写しなど、同年一二月一三日ころ国母興業の商業登記簿謄本、同月一九日ころ領収証写し、各提出)、控訴人中島はそれら関係書類の作成に部分的に関与し、または控訴人宮原から事後報告を受けたにとどまる。

3 以上の経緯からすれば、多少手がこんでいるかのごとく見えないではないが、以下の事情を考慮すると本件の手口はちょっと調べればすぐ馬脚をあらわすような拙劣きわまるもので、まして熟練の税務署員によって直ちに不正を看破しうるものであったことは明らかである。すなわち、同年八月二四日、柏税務署に初めて、本件の相続税申告につき相談に行った際、控訴人宮原が「納税額を六〇〇〇万円くらいにしたいのですが、その為にはどうしたらいいですか。」と申告者側であらかじめ勝手に納税額を決め、それから逆算して、どのような申告をすればよいかという尋ね方をしていたこと等から、木田統括官はその時すでに本件の相続税申告に不審を抱き控訴人らが脱税を意図しているのではないかと疑っていたこと、同月二八日相続税申告書を提出した際、被相続人勝矢久雄は無職であるのに、どのような理由で一億四五〇〇万円もの多額の債務があるのか不審に思い、その旨尋ねたところ、控訴人宮原は単に保証である旨答えるのみであったこと、本件に使用された約束手形三通には、振出地、住所欄に山梨県甲府市中小河原町一丁目八番三一号、振出人欄に有限会社国母興業、振出日昭和五八年一二月一〇日、連帯保証人千葉県東飾郡沼南町岩井四六八番地勝矢久雄等と記載されているが、山梨県甲府市所在の会社に千葉県の郡部で農家を営み右会社関係者と何らの縁故関係のない勝矢久雄が連帯保証をしている点不自然であり、しかも各約束手形の金額が三六〇五万円(小松賢郎あて)、八三二〇万円(高橋一夫あて)、三一五〇万円(許勇あて)、といずれも巨額である点等から、一見して本件の各手形は相続債務を仮装するための内容虚偽のものではないかとの不審の念を起こさせるに十分なものであったこと、このため柏税務署の総務課長小林明、統括官木田喜春らは、昭和五九年一〇月二日ころ本件の約束手形の写が提出された直後その振出人である有限会社国母興業の住所地等を所轄する甲府税務署への照会により、国母興業は本件各手形の振出日の以前である昭和五八年四月以降の法人税を申告していないいわゆる休眠会社である旨の報告を受け、本件各手形が内容虚偽のものであることを看破し、すでにこの時点で本件相続税申告が、脱税を工作している不正のものであることを承知していたこと、また連帯保証債務を弁済したことを仮装するため勝矢孝雄所有の不動産に抵当権を設定し弁済資金として勝矢が株式会社大樹から一億三〇〇〇万円を借入たかのように昭和五九年一二月二九日付の抵当権設定金銭消費賃貸契約書を作成し、抵当権登記を経由しているが、株式会社大樹にはその多額の資金を勝矢孝雄に貸付る資力もなく、またそのような事実がないことは同会社の資金の流れを調査することによってことを見破ることは、たやすい道理であったこと等からすれば本件は税務署員の指示のままに控訴人宮原らが行ったものであるがその手口はちょっと調べればすぐ馬脚をあらわすような拙劣きわまるものでまして熟練の税務署員によって直ちに不正を看破し得たものであった。(控訴人両名の各検察官調書、原審公判供述、勝矢孝雄、小林明、木田喜春、鈴木洋樹の各検察官調書等参照。)

原判決はその量刑理由のなかで「本件では、ほ脱の手段として、被相続人について架空の連帯保証債務を計上した。そして、これを真実らしく装うために架空の手形を振り出し、裏書し、架空の手形の抵当権を設定し、架空の領収証を作成する等々その手口は手が込んでおり巧妙である。」としているがこれが失当であることは以上において述べたことからきわめて明白である。

三 控訴人宮原一がした柏税務署との交渉と対応

控訴人宮原等は同和団体である東日本同和会の幹部であり、同和運動に挺身している者である。

同和運動は、同和関係者の社会的、経済的地位の向上のために政府が行う昭和四四年施行の同和対策事業特別法、地域改善対策特別法、地域改善対策特定事情に係る国の財政上の特別措置に関する法律による財政支出の受け皿としての同和関係者たちとの橋渡し的役割を担ってきたものである。同和団体は、同和関係者の利益の代弁者として、行政当局と交渉を持つ場合が多く、その際、同和団体としては同和関係者のためにできるだけ有利な財政支出を行政から引き出すために、かなりの駆け引きを行政との間で行うのが普通になっていた。

控訴人宮原は、東日本同和会の幹部として同和関係者のために行政との交渉を数多く重ねてきており、その際、ことの善し悪しは別として、行政との間にある程度の虚々実々の駆け引きをなし、事態を同和関係者に有利に打開することを図ってきた。ただし、控訴人宮原はその際、巷間ささやかれているように威圧的態度をとるようなことは一切しておらず、行政との交渉の結果、最終的には行政の指示に服するという方式を取ってきていた。

控訴人宮原は、本件相続税の減額についても右の方式にしたがって税務当局と交渉を進める方針であった。さればこそ、同年一〇月二日、遺産分割協議書、約束手形の写しを提出した際、税務署係官から、本件債務の主張が税務上認められることが難しい様子であることを察知して、控訴人中島に対して、「税務署と協議しているが、この案件は難しい」と報告を受けた際、「これだけやってやれば安井市会議員に対しても義理を立てたことになるから無理をしないように、同税務署の指示に従って引き下がるように」ということを申し述べていたのである。(控訴人両名の各検察官調書、原審公判供述参照。)

このように、控訴人宮原は税務署との交渉において相続税減額のために努力はするけれども、最終的には係官の指示に従って納付すべき相続税額を認める方針であったのである。

しかるに、柏税務署当局は、その後も相続税減額に必要な書類の提出を次々と要求し、この要求に従って控訴人宮原等はその都度必要な文書を偽造するなどして提出したのであった。このことは、税務署当局としては控訴人中島や同宮原を「えせ同和」と疑い、控訴人等およびその所属する東日本同和会を退治するために脱税の動かぬ証拠を十分収集しようとしたことによるものと推察される。

「えせ同和」が同和運動そのものにとっても有害であることはもちろん、社会的にも許されないところであって、「えせ同和」退治が現在の日本社会における一つの重要な課題であることも又事実である。それゆえに、柏税務署が一般的にいって「えせ同和」退治をすることを非難することはできない。しかしながら、控訴人中島、宮原の如く「えせ同和」的活動をかってしたことのない者に対して、偏見からこれを容疑事実に仕立て、動かぬ証拠を次々と提出させて、いわば罠にかけるような行政の対応行為は、他との権衡の見地から許されないところである。

というのは、徴税上も同和問題については特例的措置が取られており、各国税局に同和対策室が設けられて同和関係者に対する納税の指導をなし、特別な措置を行っている現実が一方にあるからである。

原判決は量刑理由において「本件で、同和会という組織の力を利用して、税務署職員らに対し、どのような威圧的交渉をしたかしなかったかの点はしばらく別とするが、そもそも勝矢の税額減少の相談が東日本同和会にもちこまれ、これを被告人らが引き受けるとその際の約束として、仮りに約六〇〇〇万円税額が減少すればその半分にあたる三〇〇〇万円という高額をその報酬として受けとるというような法外な約束が交わされ、現実にそれだけの報酬が交付されているということは、やはり同和会と名付けた組織が関係者に与える社会的影響を基盤として初めて成り立っていると考えざるをえず、この点には大きな問題が含まれていると考えられる。」と述べているが、報酬の額が決まった経緯はすでに述べたとおりであり、控訴人らの柏税務署との交渉は前記のとおりのものであり控訴人らが東日本同和会の名を利用して威圧的交渉をしたことはなく、右量刑理由の説示は全く根拠のないものと言わざるをえない。

なお控訴人らがそれぞれ本件に関し金六〇〇万円程度の金員を受領していることは事実であるが、報酬が金三、〇〇〇万円という意外な高額に決まったのは、安井我孫子市議会議員の采配によるものであり、控訴人中島はその中から金三〇〇万円を右安井の債務の弁済に充当している。

控訴人両名は、自ら要求したものではなかったが、現実に前記のような多額の金額が自己の手中に入ってきた場合、人間の弱点としてついこれを受け取ってしまった。

前述のとおり、控訴人宮原は税務署との交渉において税務署担当官が要求する書類をその指示どおりに提出し、これが受領されたことから、同和問題における行政との交渉の場合と同様に税務署が納得したもの、もし疑義があれば税務署はそれを指摘し控訴人らの主張が無理なものである場合はそのことを明らにして指導してくれるものと考えていたので、本件は一二月一九日の書類提出によって任務を終えたものと考えたのであった。

しかしながら金六〇〇万円程度という相当な大金を受け取ったということについては、軽率であったことを認めざるをえず、これへの社会的非難は甘受すべきものと考えている。

東日本同和会は昭和四九年設立され、日本国民は、憲法第一四条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」ことにより、同和問題の完全なる解決の一助となるとともに民主主義社会の建設に寄与することを目的とし(別紙東日本同和会綱領参照)、同和対策事業特別措置法、地域改善対策特別措置法の完全実施、人種差別の解消等を求める諸運動およびこれに関する経済支援、会員拡大、啓蒙宣伝等の諸活動を協力かつ真摯に実行、推進してきており、現在会員約三万人、地域的には西は岐阜県より以東、北は北海道より以南、すなわち岐阜、福井、愛知、新潟、静岡、長野、山梨、神奈川、東京、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城の一都一三県におよび、東京都に中央本部、各県内に県本部の各事務所をおいて、前記の諸運動、諸活動のほか積極的に社会福祉活動を行い、また機関紙を毎月一回定期的に発行し、会員はもとより地方自治体、教育機関、宗教団体等に配布しており、東日本同和会は地方自治体、地方福祉団体等より高い評価を得ており、確固とした同和団体であって(原審提出の東日本同和会定款、原審証人雨宮光一の証言等参照、なお当審で補充立証する)、最近世上問題視されている「えせ同和」といわれるようなものでは断じてない。

しかしながら、誠に遺憾なことに一部役員(具体的には三條篤理事)が金融機関を舞台にする恐喝を行い、東日本同和会の面目に泥を塗ってしまった。同会はその事実を知るや直ちに右三條を除名処分にし、綱紀を粛正するために東日本同和会幹部心得八ヵ条(別紙参照)を決議し、理事会開催の際にその冒頭において全員でこれを唱和して今日に至っている。

第三 よって本件は控訴人らに対し、執行猶予を付するのが相当であって、これを付さなかった原判決は量刑不当と思料する。

東日本同和会幹部心得八ヶ条

一、我々は礼儀を正しくし幹部としての威信を保つべし

一、我々は信義を重んじ誠意をもって事に当るべし

一、我々は質素を旨とし身辺を清潔に保つべし

一、我々は武勇を尊び気魄をもって行動すべし

一、我々は同和の目的を自覚し正義感をもって前進すべし

一、我々は会員を保護し博愛の精神をもって職務を遂行すべし

一、我々は同和会の名誉を重んじ言行を慎むべし

一、我々は人を愛し国を愛し大義に生きるべし

東日本同和会綱領

一、我々は特に当会が定める地域に於ける歴史的な行政により軋轢を生じた現存する差別問題及び日常我々の身辺に起き得る、差別等の解決のため特に法に言う対象地域の内外を問わず我々の民主理念を啓蒙するものである。

一、我々は生まれながらに保証されるべく幾多の権利、参政権、生存権、自由権等を我々の全てが十分に保証されるよう団結して国政に働きかけるものである。

一、我々は一部過去の権利者のために地域及び我々の友が低位性を余儀なくされた事実を一日も早く克服するため、国及び地方自治体の行政により社会補償として当然社会的地位、文化的地位、経済的地位の向上をはかる施策を求め、これを推進するものである。

一、我々は因習(等)を打破し人間として人間の階位を撤廃する戦いを起し、同和教育活動をするものであるが特に歴史に繰り返し証明されるごとく、低位性脱皮のための経済的地位の向上の戦いを進めるものである。

一、我々は真の人間的見地により肌の色、言語、習慣等を超越して基本的人権の尊重を訴えるものである。

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